マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

靴が生死を分けるとき

 今夜の仙台は、路面がシャーベットで覆われています。

 宵の口からの雪が、雨になったり、雪に戻ったりした結果です。

 その路面の上を――
 傘をさしながら、えっちらおっちら、歩いているうちに――
 靴の大切が身に滲みました。

 5年以上前から履いている靴なのですが――
 ろくに手入れをしないので、けっこう痛みは進んでいて――
 10分も歩いたら、なかまでビチョビチョになってきたのですね。

 しかも、路面はシャーベットですから――
 氷点の冷たさが靴の中を凍てつかせます。

 たしか、作家の五木寛之さんが書かれていたと思うのですが――
 戦後の幼少の頃、満州からの陸路を命からがらに引き上げてくるときに――
 靴が生死を分けることに気付かれたそうです。

 よい靴を履いていた人は、いつまでも逃げ続けて――
 よい靴を持っていなかった人や、そもそも靴を持っていなかった人は、いつか歩けなくなって、命を落としていった、と――

 つまり――
 靴に恵まれていない人から順に命を落としていったのだ、ということです。

 以来、五木さんは靴の重要性を痛感しており、すぐれた靴を求め集めるうちに、いつしか靴の愛好家になってしまった、と――
 ほとんど強迫的に靴を収集されたのかもしれません。

 路面のシャーベットは、本当に冷たかったのですよ。

 歩くのを何度やめようと思ったことか。

 もっとも、それは――
 満州からの陸路を命からがらに引き上げてくるのとは訳が違い――
 単に、

 ――タクシーを拾う。

 ということを意味していたにすぎませんがね(笑