マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

すぐれた学術研究とは

 すぐれた学術研究とは――
 まず、研究の内容が他者に理解されうるものであり、かつ、それを理解すると世界観が変わり、人間観が変わり、もしかしたら人生観も変わりうる――
 そういうものであると、僕は考えています。

 人は、この世界に生まれ出、他の大勢の人間に囲まれながら、日々、忙しく生きています。

 そんな風に生きているうちに――
 特定の世界観や人間観を作り上げ、それを基に、自分の人生観を練り上げます。

 それら世界観や人間観は、たぶん呆れるくらいに千差万別で――
 たいていの場合は、その人の思い込みや偏見に染め上げられているものです。

 そうした個人の世界観や人間観を揺るがし、他人の世界観や人間観との違いに気づかせることが、学術研究の主要な目的でしょう。

 もちろん、その目的が達成された結果として、社会に何らかの利益がもたらされるのであれば、何もいうことはありませんが――
 それは、副次的な産物とみなすほうがよいでしょう。

 その証拠として――
 学術研究が社会への利益還元に結びつきやすくなったのは、ここ数百年のことで――
 それ以前の学術研究は、ともすれば富裕層の道楽とみなされるような営みでした。

 よって、すぐれた学術研究を興す人たちは、おそらく――
 何を考えても、何をいっても、何をやっても、自分の世界観や人間観が滲み出てしまうような人たちです。

 そういう人たちは、常に自分の世界観や人間観をさらしているので――
 他人の世界観や人間観とぶつかり合うことが多く――
 そのせいで、切磋琢磨が効いて――
 その結果、独特の世界観や人間観を作り上げてきたような人たちです。

 自分の世界観や人間観を隠すのが上手な人たちは、おそらく――
 すぐれた学術研究を興すことは希でしょう。