お正月だというのに――
中東では激しい戦争が続いているようですね。
もっとも――
彼らにお正月は、まったく関係ないのでしょうが――
イスラエル軍によるガザ地区への空爆のことです。
ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスへの報復というのが――
イスラエル政府が掲げる大義名分のようです。
ハマスは、ガザ地区からイスラエル領土に向けて、たびたびロケット弾を発射していたといいます。
ちなみに――
イスラエル政府は総選挙を控えているそうです。
その選挙で政府・与党が勝つためには、今回の空爆が、どうしても外せなかったのだとか――
まるで政情風刺小説みたいな話です。
真相はどうであれ――
このような戦争の報道に触れていると、
(世の中には、戦争したくて戦争してる人たちがいるのだなあ)
と実感せずにはいられません。
「戦争したくて」というのは、おそらく、種としてのヒトがもつ性質の1つなのでしょうね。
そのような性質に突き動かされやすいために――
人は、ひと度つながってしまった憎悪の鎖を簡単には断ち切れません。
憎悪の鎖から外れるためには、憎悪を凌ぐ嫌悪が必要です。
が――
その「嫌悪」が、またクセモノです。
戦争を望む者たちがいて、戦争を望まない者たちがいる――
戦争を望まない者たちは、戦争を望む者たちを思いとどまらせるために、闘いを挑む――
かくして、戦争を望む者たちと望まない者たちとの間で、新たに「戦争」が起こる――
ここまでくれば、どこまでも不毛で凄惨な流血の迷宮が、じきに扉を開きます。
そのとき――
「嫌悪」は憎悪と何ら変わりないでしょう。
嫌悪がダメなら、無関心でいくべきか。
たしかに――
嫌悪と愛好とは表裏一体です。
戦争への無関心こそ、戦争への嫌悪や愛好に相対しうるのかもしれません。
が――
はたして、それでよいのでしょうか。
本当は――
嫌悪でも愛好でも無関心でもない何か、があればいいのです。
それさえみつかれば――
人は、憎悪の鎖を容易に断ち切れるでしょう。
でも――
そんな「何か」が、どこかにあるのでしょうか。