人は、他人のことは、ほとんどわかりませんよね。
一緒に暮らす親子であっても、相手が本当は何を感じているかなどは、まったくわかりません。
せいぜい、その言動から何を感じているかを推定する程度です。
にもかかわらず――
人は、他人のことを、わかった気になってしまう――
――いや、オヤジは、そんな人じゃない。
とか、
――まさか、うちの子に限って――
とか――
他人のことがわからないのは、とくに不思議ではありません。
むしろ、当然です。
だって、他人の心の中は覗けないのですから――
それより遥かに不思議なことは――
なぜ他人のことをわかった気になってしまえるのか、ということです。
そのような働きがヒトの脳に備わっていることの不思議です。
本当はわかっていないのに、わかった気になってしまえる能力――
それを、もう少しだけ拡張すると、
――実際には正しいとは限らないことを「正しい!」と信じきってしまえる能力
となるでしょう。
もちろん、とりあえず進化論的に答えることは容易です。
すなわち、
――そのような能力を備えた種であったからこそ、ヒトは今日の文明社会を築き上げられたのだ。
という答えです。
いいかえると――
もし、ヒトが、
――正しいとは限らないことを「実は正しくはないかもしれない」と疑い続けられる能力
に秀でた種であったなら、今日の文明社会を築き上げるところまでは進化しなかったかもしれない――
ということです。
長期間にわたる種の生存競争においては――
ことの正・不正を常に暫定的に判断し、その判断を基に、何らかの行動に突っ走ってしまえる種のほうが、突っ走ってしまえない種よりも、いくらかは有利でしょう――
少なくとも進化論的時間軸で照らしてみれば――
そういえば――
実行力というものは、その実行の目的の正・不正とは別に評価されることが、ほとんどですよね。