マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

歓喜や充足の予感がないと

 ――生きる苦しみ

 とは、希望の不在なのだろうと思います。

「希望」というと何だか酷く高尚なものにきこえますが――
 そういう希望だけをさすのではなく――
 例えば、晩酌のビール1杯の希望であってもいいのです。

 つまり、「希望」とは、

 ――歓喜や充足の予感

 です。

 この予感がないと、生きるのは本当にツラい――
 歓喜や充足が永遠に自覚できないと思い知ることほどの苦痛はないでしょう。

 歓喜や充足を――
 結果として自覚できなかった、というのではなく――
 予定として永遠に自覚できそうにない、というのが苦しみの本態なのです。

 絶望という名の苦しみですね。

 ですから――
 生きるのを少しでも楽にしようと思ったら――
 自分で自分の鼻先にニンジンをぶら下げるしかないのでしょうね――「晩酌のビール1杯」くらいのニンジンでもかまわないから――