大晦日の『道草日記』で、
――近年は色のない年が続いている。
と述べました。
“色がない”ということを、とくに否定的にとらえたつもりはなかったのですが――
そんなふうにも感じとれる書き方になってしまっていますね。
“色がない”というのは、
――これといった特徴を指摘できない、何も印象が残らない
くらいの意味ですが――
一つ留意して頂きたいのは――
この“特徴”や“印象”は、その年の数字と密接に結びついている、ということです。
例えば、“2011”という数字から、東日本大震災を思い浮かべるというように……。
ちなみに――
他にも例えば――
“1980”から、小学校への入学を――
“1993”から、東京での生活を――
“2001”から、父の死去を――
“2007”から、常勤の就労を――
それぞれに思い浮かべます。
それらの数字には各々そういう“色”がついている――
ということです。
こうした“色”が、だんだん薄れていくのは――
考えてみれば、当たり前で――
歳をとるにつれ、いろいろな経験を踏み越えていけば、個々の経験の印象が(記憶の新しい順に)弱まっていくのは――
たぶん、しぜんなことなのでしょう。
これから先も、どんどん“色”はなくなっていくと思います。
よほどの大事件や大災害が起きない限りは……。
*
本年も『道草日記』をよろしくお願い致します。