マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

誰かを非難しようと思ったときには

 誰かを非難するときに――
 その「誰か」が置かれている状況を正しく理解していないからこそ、非難できる――気軽に非難してしまう――ということがあって――
 注意が必要です。

 著名人の方が、ネットのブログなどで、つい誰かを不用意に非難してしまって――
 逆に、ご自分が非難されてしまうということも、しばしば見かけます。

 僕自身も――
 つい気軽に誰かを非難してしまうことがあって――
 いつも、
(ああ、しまったな~)
 と後悔をするのですが――

 非難している最中は――
 自分に何らかの理解不足があるなどということをこれっぽっちも疑いませんので――
 なかなか気づけないのですね。

 困ったことです。

 ……

 ……

 なので――
 僕は、誰かを非難しよう――あるいは、非難しなければならない――と思ったときには――
 できるだけ一度は性善説に立つように気をつけています。

 ――全ての人は基本的には善人である。

 と――
 とりあえず信じ込んでみるのですね。

 僕は、これを性善説の有効な活用方法だと考えていて、
性善説は素朴に信じるに限る)
 と思っています。

 残念ながら――
 性善説を心から信じることは、僕にはできません。

 どちらかというと性悪説のほうを信じたい――

 が――
 ちょっと想像すればわかるように――
 人の世で、性悪説を信じていても、あまり良いことはないのですよね。

 猜疑心ばかりが強くなってしまい、対人トラブルが頻発します(苦笑

 なので――
 おそらく、

 ――性善説性悪説も信じるには値しない。人が常に善人であったり悪人であったりするわけではない。

 と考えるのが賢明なのですが――

 それはともかく――

 誰かを非難しようと思ったときには――
 とりあえず性善説を信じ込んでみることです。

 別に、心から信じ込む必要はない――
 ただ素朴に信じてみることです。

 あとで裏切られたっていい――

 一度は性善説に立つことが――
 自分の怒りや憎しみを包み込む安全装置になる可能性があります。