結果論で糾弾する誘惑――
というものが――
あると思っています。
例えば、
――あの時、○○していれば、うまくできたはずなのに!
とか、
――あの場でも、○○が最善策だと、わかったはずだ。
とか――
その時その場に居合わせていなかった人が――
居合わせていた人たちを――
いま判明している事実や周知されている知識をもとに、厳しく糾弾する――
それが、
――結果論で糾弾する。
の中身です。
結果論の糾弾は――
強い誘惑を発します。
いま判明している事実や周知されている知識をもとに、その時その場の状況を冷静に分析したら――
たいていの場合は――
その時その場で、いかに判断し、いかに決断するべきかを、手を取るように察知できるからです。
そして――
その時その場に居合わせていた人たちが、実際以上に無知で蒙昧であったと誤解してしまう――
結果論で糾弾する誘惑の源は――
この「実際以上に無知で蒙昧であったと誤解してしまう」に潜んでいます。
――そんなことも知らなかったのか。
とか、
――こんなこともわからなかったのか。
と、つい人を見下してしまう――
そういう人の悲しい心性ですね。
このことを十分に意識していれば――
結果論で糾弾する誘惑に理性で歯止めをかけることは、そんなには難しくないと感じます。