マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

得恋よりも失恋の方が重要

 ――失恋

 の反対が、

 ――得恋(とくれん)

 であるということは――
 9日前の『道草日記』で触れました。

 つまり、

 ――自分の恋が成就しないことを「失恋」といい、成就することを「得恋」という。

 ということです。

 ところで――
 失恋と得恋とでは、どちらが重要でしょうか。

 僕は、
(失恋の方が断然、重要だ)
 と考えています。

 もちろん、多くの人たちにとって、失恋よりも得恋の方に関心が向きがちでしょう。
 とくに、いま恋愛中の人たちにとっては、

 ――もし、意中の人と失恋したらどうしよう?

 ということよりも、

 ――どうすれば意中の人と得恋できるのか。

 ということの方に、より強い関心を抱くでしょう。

 失恋よりも得恋の方に関心が向かうのは、人として自然な心性であり――
 それは誰にも否定できないと思いますが――

 得恋よりも失恋の方が重要だと、僕が考える理由は――
 もっと初歩的なものです。

 つまり――

 自分の恋の成就しないことが、失恋であるならば――
 失恋とは、自分の気持ちが拒まれることであり――
 自分の気持ちを拒もうとする相手の気持ちを受け入れることであり――

 自分の恋の成就することが、得恋であるならば――
 得恋とは、自分の気持ちが受け入れられることであり――
 自分の気持ちを受け入れてもらおうとする試みに成功することです。

 もう少し簡単にいうと――
 失恋は相手の気持ちを受け入れることであり、得恋は相手に気持ちを受け入れてもらうことです。

 失恋が自力であるのに対して――
 得恋は他力であることが、おわかりでしょう。

 もちろん――
 単純に「自力が良くて他力が悪い」ということではありません。

 他力も良いものです。

 が――
 とりあえず――
 自分一人で取りくめる過程が失恋であり――
 自分一人では取りくめない過程が得恋である――
 ということは、失念するわけにはいきません。

 何事も――
 まずは自分一人でどうにか対応できることの方に関心を向けるのが賢明でしょう。

 その後で――
 自分一人ではどうにも対応できないことに関心を向ける――

 それゆえに――
 僕は、

 ――得恋よりも失恋の方が重要である。

 と考えています。