マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

円満な失恋

 きのうの『道草日記』で、

 ――得恋よりも失恋のほうが重要である。

 と述べました。

 その理由は――
 失恋が、

 ――相手の気持ちを受け入れること

 だからです。

 この「相手の気持ちを受け入れること」というのは――
 第一には、自分の恋を受け入れようとしない相手の気持ちを受け入れることであり――
 いわゆる“ふられる側”が“ふる側”の気持ちを受け入れることですね。

 失恋の過程がスムーズに進むには――
 結局は“ふられる側”の意思にかかっています。

 ところで――
 失恋の過程がスムーズに進むには、“ふる側”の意思も大切です。

 実は、“ふられる側”だけでなく、“ふる側”も、相手の気持ちをいったんは受け入れることが必要なのです。

 それは――
 自分に恋をしてくれた相手の気持ちを認め、許すこと――
 この段階を、

 ――受恋(じゅれん)

 と呼びましょう。

 この受恋が――
 スムーズな失恋には欠かせません。

 もし、自分に恋をしてくれた相手の気持ちを拒み続け、いつまでも許そうとしない場合はどうなるか――

 これを、

 ――拒恋(きょれん)

 と呼びましょう。

 この拒恋は――
 基本的にはお勧めできません。

 拒恋は、失恋を必要以上に停滞させ――
 双方に苦痛をもたらし――
 ひいては深刻な対人トラブルを招きます。

 では、“ふる側”は、どうしたらよいのでしょうか。

 受恋をした上で拒恋をしないのであれば――
 当然ながら、不本意な得恋を強いられることになりますね。

 それは困る――

 そこで必要になってくるのが、

 ――離恋(りれん)

 です。

 自分に恋をしてくれた相手の気持ちから自分の気持ちを離していく――
 拒むのではなく、離れる――あるいは、突き放すでのはなく、離す――

 この場合の「離す」とは、

 ――適度な心理的距離をとる。

 ということです。

 僕は、失恋には理想形があると思っています。
 いわば、

 ――円満な失恋

 です。

 それは、

 ――誰かが誰かに恋をしたときに、恋をされた方は受恋をし、離恋をし、恋をした方は抑恋をし、失恋をする。

 というものです。

 ここでいう「抑恋(よくれん)」とは――
 もちろん、自分の恋を抑えること――

 相手の気持ちを尊重し、自分の恋を取り下げることです。

 もちろん、取り下げた恋は、行き場をなくしてツラいのですが――
 そのツラさは、相手を思って真摯に堪えていく――しっかり受恋をしてくれた相手なら、それくらいの忍耐は難しくないものです。

 逆にいうと――
 拒恋をされたら、相手を思って真摯に堪えていこうという気持ちには、なかなかなれません。

 だからこそ――
 拒恋は、基本的には絶対にお勧めできないのです。