マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

恋覚を持ち、恋識を得る

 きのうの『道草日記』で――

 失恋には、「円満な失恋」があり――
 それは、

 ――誰かが誰かに恋をしたときに、恋をされた方は受恋(じゅれん)をし、離恋(りれん)をし、恋をした方は抑恋(よくれん)をし、失恋をする。

 というものだと述べました。

 が――
 この表記では、ちょっと不十分であったと思っております。

 というのは――
 この表記だと――
 円満な失恋では、いわゆる“ふる側”に主導権があり、いわゆる“ふられる側”は、ただ相手の受恋や離恋を期待するしかない――
 と誤解されかねないからです。

 そうではありません。

 円満な失恋のカギを握っているのは、“ふる側”だけではなくて、“ふられる側”も同じなのです。

 ポイントは抑恋にあります。

 抑恋とは、文字通り、自分の恋を抑えて、相手への慕情を断ち切ることですが――
 この抑恋をスムーズに行うには、

 ――恋覚(れんかく)

 が欠かせません。

「恋覚」とは、自分が相手に恋をしていると自覚を持つことです。
 つまり、

 ――あ。今、私は、あの人に恋をしてるんだな。

 という感覚です。

 そして――
 この感覚を意識し、認識し、保持することを、

 ――恋識(れんしき)

 と呼びましょう。

 この恋識がないと、抑恋は不可能なのです。

 自分の恋を認識できていない人に――
 どうやって、その恋を抑えることができるでしょうか。

 なので――
「円満な失恋」の表記を次のように改めたいと思います。

 すなわち、

 ――――誰かが誰かに恋をしたときに、恋をした方は恋覚を持ち、恋識を得る。恋をされた方は受恋をし、離恋をする。その離恋に応え、恋をした方は抑恋(よくれん)をし、失恋をする。

 というものです。

 これなら――
 そんなには誤解されないんじゃないかな。