きのうの『道草日記』で、
――恋にアクセルはない。
と述べました。
もう少し砕けていうと、
――恋は、いつでも加速しっぱなし――
ということです。
わざわざアクセルで加速させる必要はなく――
むしろ、いかにブレーキで抑制するかが大切である――
ということですね。
このことを失念していると――
自分の恋を思わぬ形で拒まれる可能性が高くなります。
ですから――
いわゆる“ふられること”を避けるには、「恋にアクセルはない」ということを肝に銘じておくのがよいのですが――
同じことは、いわゆる“ふること”を考えている人にとっても大切です。
恋をされた方は、恋をしている方が少しくらい常軌を逸した言動に出てきたとしても――
あまり目くじらを立てないほうがよいのです。
少しくらい強引なことや失礼なことをされたとしても、
――まぁ、たしかに恋にアクセルはないからね、仕方がないよね。
で許してあげる――
大体のところは許してあげる――
この「許し」には、もちろん一定の勇気が要りますが――
そこを敢えて許すことが、相手の恋を認め、受け入れることの下地となります。
4日前の『道草日記』で述べた「受恋(じゅれん)」というのは、そういうことです。
この受恋を経て初めて――
4日前の『道草日記』で述べたような「円満な失恋」にもっていくことができるのです。
受恋を経ず、ひたすら拒恋――相手の恋を拒み、跳ね返そうとすること――を繰り返していては――
決して「円満な失恋」は適いません。
ここで注意するべきは――
受恋と、自分に恋をした相手を自分の恋人として認め、いわゆる男女の関係になることとは、本質的に別である――
ということです。
受恋というのは――
自分に好意をもってくれていた異性が、その好意を無意識に恋心に変えてしまったことに気づき――
その変化の過程を正しく認識し――
その心情を察することであって――
その異性の恋人として振る舞うように決断することや、その異性との結婚を決意することとは――
根本的に別次元の話です。