マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

恋にアクセルはない

 最近の『道草日記』では、「恋」だの「愛」だの、ちょっと軟派な話題が続いておりますが――(苦笑
 
 きょうも、恋について――
 
     *
 
 おとといの『道草日記』で、
 
 ――恋は感情である。
 
 と述べました。
 
「感情である」というのは、
 
 ――情動である。
 
 と言い換えても、よいかもしれません。
 
「感情」も「情動」も、英語では「emotion」であり、ほぼ同じ意味で使われることが多いかと思いますが――
 ここでは、感情の中でも、より行動に結びつきやすい感情を、とくに「情動」と呼んで区別してみましょう。
 
 恋は、行動に結びつきやすいという意味では、まさに情動です。
 
 例えば――
 恋をした相手には、半歩でも傍に近づきたい、一瞬でも早く顔を合わせたい――
 あるいは――
 恋をした相手とは、いつまでも一緒にいたい、ずっと話をしていたい――
 
 このように行動と結びつきやすい点が――
 恋の特徴といってよいでしょう。
 
 ここで――
 ぜひ見落としたくないことは、
 
 ――恋には、ブレーキはあっても、アクセルはない。
 
 ということです。
 
 恋にブレーキをかければ、恋を抑えることはできます。
 
 が――
 ブレーキを緩めれば、すぐに恋は走り出す――

 ブレーキを外すことが、直ちにアクセルを踏むことに相当してしまうのです。
 
 恋は、ブレーキをかけずに放っておけば、どこまでもアクセルがかかってしまうものなのですね――その恋が持続する限りは――
 
 よって――
 恋は、ブレーキを緩めることで、そして、緩めることによってのみ、制御することができます。
 
 なぜ、これを見落としてはいけないのか――

 恋にアクセルがあると思っていると――
 とんでもない失敗をしてしまいかねないからです。
 
 自分では、そんなに加速させているつもりはなかった――ただブレーキを少し緩めただけのつもりだったのに――
 実際には、猛スピードで突っ走っていた――

 ということが――
 十分に起こりうるのです。