マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

感情の具体例として最も鮮烈なのが

 僕が愛とか恋とかに拘るのは、

 ――感情って大切だよ。

 ということを主張したいためです。

 この感情の具体例として最も鮮烈なものが、

 ――恋

 だと――
 僕は考えています。

 もう少し厳密に述べますと――
 誰かを、

 ――好き

 と思う気持ちは、少なくとも2つに分けることができ――
 片方は、当人によって意識されやすい「好き」であり、晴明な意志に基づいた「好き」である一方――
 もう片方は、当人によって意識され難い「好き」であり、混濁の感情に根ざした「好き」である――

 そして――
 この国の人々は、前者を「愛」と呼び、後者を「恋」と呼んでいる、と――

 そういうことなのですね。

 感情は――
 精神的に十分に成熟した大人にとって――
 ともすれば抑圧してしまいがちなものです。

 が――
 その感情を抑圧し、意志だけを意識し、感情を抑圧していることには気づきもせずに、長年にわたって意志だけを意識して生活していると――
 やがて年老いて、寿命がきて、この世界から旅立たなければならないときに、

 ――自分は、なんと、もったいない生き方をしてきたのか。

 と深く嘆息してしまうのだそうです。

 それを避けるために――
 日頃から自分の感情を解放しておく――

 感情を解放し、それを意識し、感覚に変えておき、それを意志に反映させる――

 その具体例として最も鮮烈なのが、「恋」であろう、と――
 僕は思うのです。

 分別のある大人なら、「愛」は知っています。

 が、「恋」も知っているとは限らない――

 分別のある大人でも、ごく僅かに――あるいは、意外に多く――「恋」を知らない人がいます。

 ある老賢人が、自分の死期を悟ったときに――
 若年者から、

 ――何か思い残すことは?

 と問われ、

 ――1度、恋に身を任せてみたかった。

 と零(こぼ)したそうですが――
 そういう老賢人は、たぶん珍しくないのです。