マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

世界の秘密、社会の秘密

 ――世界の秘密

 というと――
 なんだか荘厳で、神秘的で、ワクワクしますが、

 ――社会の秘密

 というと――
 なんだか醜悪で、世俗的で、ゲンナリします。

 例えば――
 賢くて好奇心に満ちた子供に、

 ――これから世界の秘密を教えてあげよう。

 というと――
 目をクリクリとさせて喜ぶかもしれませんが――

 ――これから社会の秘密を教えてあげよう。

 というと――
 眉を曇らせて憂鬱そうにするのではないでしょうか。

 この違いは何か――

 もちろん――
「世界」と「社会」とでは、そもそも概念の次元が異なる――
 ということを忘れてはいけません。

 世界は社会を包括していて――
 社会は、本来は世界に比肩しうる存在ではありません。

 が――
 その社会も――
 人ひとりが一生を費やしてさえ――
 その全容を見聞きし、理解し、把握するのは不可能です。

 つまり――
 社会も、世界ほどではないにせよ、広大で複雑な存在であり、人間が熟知しえない存在である――
 という点では、社会も世界も同じなのです。

 そのような意味では――
 世界も社会も秘密に溢れているといえます。

 が――
「世界の秘密」と「社会の秘密」とでは、ずいぶんと響きが違う――

 しかも――
 量的に違うのではなく――
 質的に違うように思えてなりません。

 この違いの由来を、どこに求めるべきか――

 ……

 ……

 僕は――
 結局は人工性の有無であろう、と――
 考えています。

 社会は、人間の作り出したものである――あるいは、人間の作り出したものとみなされている――という暗黙の了解が、有るのか無いのかの違い――
 です。

 この点で――
 社会と世界とは、決定的に違います。

 人工性は、社会には見出せても、世界には見出せません。

 世界は、人間の作り出したものではありえない――もちろん、人間の作り出したものとみなされているという暗黙の了解もありません。

 一方で――
 人間の作り出したものには、基本的に、秘密などは残されているはずがない――
 という暗黙の了解はあります。

 人工物は、つねに人間の制御の下に確実に置かれている――置かれているはずである――
 いや、置かれていなければ困る――

 こうした見方は――
 突き詰めて考えれば――
 しょせんは無垢な理想論ないし純朴な建前論に過ぎないのですが――

 それでも――
 人間の作り出したものに、人間の理解の及ばぬ要素などは、あるはずがない――
 という前提は、人間が無意識に抱く願望といえましょう。

 …… 

 ……

 西欧の伝統的な知識人は――
 人間と同じように発言をし、行動をしようとするロボットに対し、長年にわたって堅固な嫌悪感を抱いてきた――
 と考えられています。

 それは――
 人工性の塊であるロボットに、人間と同じような性質――つまり、「人間性」という名の秘密――などを見出したくなかったからでしょう。

「社会の秘密」への負の印象は――
 西欧の伝統的な知識人たちが抱いてきた「ロボットの人間性」への嫌悪感に通底している――
 と、僕は考えています。