マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

読まなかった小説ほど心に残る

 平日には、通勤・通学客で賑わう駅が――
 休日には、ひっそりと静まり返っている――

 そんな光景を目の当たりにすると――

 何か空想を巡らせたくなります。

 以下は――
 僕が高校生の頃に聞きかじった話です。

     *

 ある東欧の街で――

 朝――
 いつものように駅の構内に入っていくと――

 どうしたことか――
 誰もいない――

 通勤・通学客たちで賑わうはずの時間帯に――
 誰もいない――

 呆然と立ち尽くしていると――
 駅の構内の隅の用具入れの陰から、小さな男の子が出てきて、
「僕と一緒に来ない?」
 と云う――

 その子に手を引かれ、用具入れの陰を覗くと――

 そこには――
 古い木工細工の小さな扉が隠されていて――
 扉の奥には、大人ひとりが、かろうじて這って行けるほどの通路があった――

 男の子は、扉の奥から顔だけを出して手招きをしている――

「何してるの? 早くおいでよ」

 云われるままに――
 身をかがめて扉の奥へと這っていくと――

 その扉は、しぜんと閉まってしまい――

 その頃――
 なぜか駅の構内が、いつもの通勤・通学客たちで賑わっていたことに、気づく由もなかった――

     *

 東欧の作家が書いたSF小説の冒頭だそうです。

 この小説を紹介していた随筆を――
 僕は読んだのですね。

 が――
 その小説の本文を、僕は読んでおりません。

 それでよかったと思っています。

 あえて読まなかったからこそ――
 僕は、その小説のことを今でも覚えているに違いないからです。

 もし、読んでいたら――
 そのまま忘れていたかもしれない――

 読まなかった小説ほど心に残るものはないのです。