――人体は物質の塊である。
とする考え方があります。
一理あります。
――人体は細胞から成っていて、細胞は物質から成っているので、人体は物質の塊である。
と考えることは、たしかにできます。
が――
この考え方では、人体の本質を掴めません。
人体が物質の塊に見えるのは事実ですが――
その塊を成す諸処の物質が常に入れ代わっていることを――
僕らは決して忘れるわけにはいきません。
人体は常に新しい物質を取り入れ続け、かつ古い物質を捨て去り続けています。
この性質こそが人体の本質なのです。
絶え間なく物質を取り入れ続け、捨て去り続けるということは――
そこに、
――流れ
があることを意味します。
人体は物質の流れの一部なのです。
あるいは――
物質の流れの淀みの部分が人体である――
と考えることもできます。
人体が物質の塊に見えるのは――
流れている物質が一時的に滞留し、人体としての構造を保っているからです。
そして――
その物質の流れはエネルギーの流れを反映しています。
少なくとも現代科学では、
――エネルギーが流れるから、物質も流れる。
と解釈します。
この解釈に基づき、人体の本質を述べるならば――
以下の通りです。
人体の内部ないし周辺には――
空気中から取り込まれる酸素と食物中から取り出される栄養素とが、互いに少しずつ反応をし、二酸化炭素や水へと変化していく――
という物質の流れがあって――
この流れは――
酸素や栄養素に担われたエネルギーが人体の中へ流れ込み、一部は人体が生きるのに必要なエネルギーとなり、一部は人体から熱として放出されるエネルギーとなる――
というエネルギーの流れを反映している、と――
つまり――
人体はエネルギーの流れに吹き抜かれて生きているのです。
あるいは――
エネルギーの迸(ほとばし)りに駆られて生きている、とも――
あたかも――
風車(かざぐるま)が風に吹かれて回るように――
……
……
そして――
このことは――
人体が――
自身を吹き抜けるエネルギーの流れが遮られることで――
不調になることを示唆します。
あたかも――
風が滞ることで、風車の動きが鈍くなるように――
また――
自身を吹き抜けるエネルギーの流れが断ち切られることで――
死に至ることも示唆します。
あたかも――
風が凪(な)げば、風車の動きが止まるように――
……
……
生きるとは、
――自身を吹き抜けるエネルギーの流れが遮られたり断ち切られたりしないように保つこと
なのです。