マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

色気と猥褻と

 ――色気と猥褻(わいせつ)とを混同してはならない。

 という話をきいた。

(ああ、その通りだ)
 と思った。

 たしかに――
 色気と猥褻とは別物だ。

 似てはいるかもしれないが――
 厳に峻別すべきである。

 どういうことか。

 例えば――
 女優が淫らな濡れ場を演(や)るときに、その姿体に色気はないということである。

 色気は、むしろ、その幕間にこそ放たれる。
 濡れ場を終えた女優が、次の演技に備え、そっと身を休めているときにこそ、色濃く放たれる。

 色気というのものは、けだし――理知的である。
 理知を通してのみ、鮮やかに感じとられうる。

 それでいて、一旦、感じとってしまったら、即座に猥褻へ吸い込まれる――そういう厄介な性質を、色気はもっている。

 少なくとも男にとっての色気とは、そうしたものではないか。

 さながら――
 白い百合が泥沼の岸辺に屹立せんが如き危うさに、彩られている。