マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

宗教の条件

 JR岡山駅から南東に徒歩で20分ほどいったところに、蔭凉寺がある。
 5年前、ここで父の葬儀を執り行った。
 以来、父の供養の節目ごとに、ここのお世話になっている。

 3日ほど前に、御挨拶に伺った。
 住職さんと副住職さんとが丁寧に迎えて下さった。
 このお二人は親子である。

 お父さんである住職さんが、

 ――最近は排他的な宗派が多くて困る。

 という話をされた。

 本来、仏教は寛容である。が、中には、そうでない宗派もある。
 そうした宗派が力を付けてきたということらしい。

「もちろん、それで人々が幸せなら問題はないんじゃが――」

 宗教は、人々の幸せのためにある。
 その原則が守られる限り、いかなる宗教も、宗教たりうる。
 が、いかなる宗教・宗派にも、教えを受け入れぬ人々がいる。そうした人々を不幸せにするのなら、

 ――それは宗教たりうるのか?

 ということに違いない。

     *

 昨日、ネットでニュースをみていたら、

 ――ジョン・レノンさんの『イマジン』が反宗教的とみなされた。

 と報じられていた。
 イギリスの宗教系の小学校でのことらしい。詞の一部に、一見、宗教を否定するような文言があるからだという。

 たしかに、ある。
 見方によっては、そうもとれる。

 結局、この小学校の児童は『イマジン』を歌うことが禁じられたそうだ。
 保護者は強く反発しているという。

『イマジン』を反宗教的とみなした者は、『イマジン』の詞を理解できなかったのであろう。
 もし、その者が宗教家なら、不明を恥じるべきである。

 ジョン・レノンさんが『イマジン』で間接的に糾弾した宗教は、そのような宗教家を育てた宗教に違いない。

 このニュースをみて、不快感をもった人は少なくないだろう。
 それだけで、人々を不幸せにしたと、いえなくもない。