「卑怯」という言葉はありがたい。
実に、ありがたい。
勘違いをしないでいただきたい。
別に卑怯を、ありがたがっているのではない。
卑怯はよくない。
道義的によくない。
が――
僕は卑怯が好きである。
虚構の世界の卑怯が好きである。
どうしようもなく好きである。
子供の頃から、そうだった。
卑怯な悪役が出てくると、わけもなくゾクゾクした。
例えば――
物語のヒロインが、
――卑怯よ!
などと糾弾するのを、
――褒め言葉と受け取っておこう。
みたいに受け流す――そんな悪役に、たまらない魅力を覚えた。
今も基本は変わっていない。
少なくとも虚構の世界においては、僕の立場は、今も昔も、
――卑怯、礼讃!
である。
「卑怯」が僕にとってありがたいのは――
「卑怯」のもつ語感が、どうしようもなく嫌らしいことによる。
卑怯への過度の好奇心を戒めてくれるのが、ありがたいのである。
僕は卑怯が好きだが――
それは、あくまで卑怯を「卑怯」という言葉で明示的に認識しなければ――の話である。
「卑怯」の言葉が意識に明確にのぼれば、その嫌らしさに閉口するくらいの感性は、持ち合わせている。
つまり――
「卑怯」は僕にマトモな感性をもたらしてくれる。
だから、ありがたいのである。
もちろん――
卑怯は悪だ。問答無用の悪である。
現実の世界では、とくにそうだ。
せいぜい虚構の世界でのみ許される。
本当は、虚構の世界においても程々にしておくほうが良い。
現実の世界にせよ、虚構の世界にせよ、卑怯とは距離をおくのが賢明である。