高校生の頃に、
――小説を読まない奴は勉強ができない。
ということを――
何度かいわれました。
高校生だから「勉強」であったのであり――
社会人であれば、「仕事」ということになるでしょう。
つまり、
――小説を読まない人は仕事ができない。
ということですね。
(それ、本当かな……?)
と――
以前の僕は、少し疑っていたのですが――
その前に、
(小説を読むことが本質なのか、虚構に触れることが本質なのか)
ということが気になっていました。
小説というのは、虚構の物語ですよね。
そして――
虚構の物語といえば、小説以外にも、映画・マンガ・TVドラマ・ゲーム・演劇など、実に様々なメディアが存在しています。
よって、「小説を読まない人は」という部分を、
――虚構に触れない人は
と書き換えることはできないのか――できないのなら、その理由は何か――
そこが気になっていたのですね。
皆さんは、どう思われますか。
……
……
僕は、書き換えることはできると考えています。
つまり、「虚構に触れない人は仕事ができない」といって、よいのではないか、と――
ただし――
この場合の「虚構」には注意が必要です。
虚構には、少なくとも2種類あります。
――もっともらしいウソ
と、
――いかにもウソらしいウソ
との2つです。
これら2種類の虚構のうち――
仕事のできる・できないに関連しそうなものは、「もっともらしいウソ」ではなく、「いかにもウソらしいウソ」のほうだ、と――
僕は考えています。
というのは、「いかにもウソらしいウソ」を楽しむには、
――不完全への寛容性
が要るからです。
「不完全への寛容性」とは、何か――
それは、
――そんなわけないだろ! ウソに決まってる!
と笑いながらも、
――面白い! ためになった! 感動した!
と唸ってみせる態度です。
いいかえるなら、
――自分の感性の尺度や方向性を自由自在に操れるセンス
とでもいいましょうか。
不完全への寛容性こそ、人の世で仕事を巧くこなすために欠かせない性質である、と――
僕は考えています。
だって、人は皆、自分自身も含め、不完全な存在なのですから――