マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

外交が上手なら内政は下手、内政が上手なら外交は下手

 国の政治は、内政と外交とに分けられますね。

 一般に――
 内政の上手な政治家は、外交が下手であり――
 外交が上手な政治家は、内政が下手です。

 その理由は、

 ――政(まつりごと)

 が、

 ――祭り事

 であった歴史的経緯を思えば――
 よくわかります。

 今日では、祭政分離が原則とされ――
 現代の政は、もちろん祭り事ではないのですが――

 とはいえ――
 現代の政に祭り事の遺残が、まったくないわけではないのです。

 例えば――
 TVカメラの前で上手なパフォーマンスをしてみせることで――
 それまで埋もれていた社会問題を、世に広く問うてみせる政治家がいます。

 それも政治の一部であることは、否定のしようがありません。

 やはり、

 ――どんな政も、もとは祭り事

 なのですね。

 こうした観点から――
 国の政治を翻ってみるに――

 内政は、まさに政の本領といえますが――
 外交には、やや祭り事に通じるところがあるといえます。

 例えば――
 紛争中の国家の元首同士が“握手”というパフォーマンスをみせるだけで――
 それが外交上の劇的な成果となりうることを、僕らは知っています。

 つまり――
 外交の上手な政治家は、パフォーマンスが得意なのです。

 そして――
 内政の上手な政治家は、パフォーマンスよりもディスカッションのほうが得意である――

 要するに――

 一般に――
 内政の上手な政治家は、外交が下手で――
 外交の上手な政治家は、内政が下手であるのは、

 ――パフォーマンスもディスカッションも、どちらも得意な政治家など、滅多に存在しない。

 という事実を反映している――
 ということです。