政治に携わるのなら――
政治のリアリティを受容し、熟知しておく必要があるでしょう。
“政治のリアリティ”とは――
政治が、世の人々の利害調整に過ぎないという実感を伴った感覚のことです。
もっといえば――
世の人々の欲望や保身、不安や恐怖といった生々しい気持ちの集合と直に向き合い、それを直に扱っているという実感――
それ自体です。
政治家は――
人々の生々しい気持ちの集合と常に接しているので――
自分自身の生々しい気持ちからは、できる限り自由でなければなりません。
自分自身の生々しい気持ちを客体化し、敷衍し――
それを華麗に突き放してみせる態度や意思が必要です。
それは――
人である以上――
もちろん、至難の業です。
よって――
実際に、華麗に突き放す必要はなくて――
内心では、ウジウジと情けなく悩み苦しんでいてもよいのです。
が――
外面では、確実に突き放してみせる――
華麗に突き放してみせることが必要です。
……
……
州知事として政治に携わるまでは、俳優でした。
俳優という経歴ほど――
自分自身の生々しい気持ちを華麗に突き放してみせるのに役立つ経歴はないでしょう。
レーガン大統領は、退任後、
――彼は、大統領という役柄を8年間、ただ演じきっただけだ。
と陰口を叩かれることもあったそうですが――
大統領を8年間も演じきれたのなら――
それは才能です。
俳優としての才能というよりは――
政治家としての才能――まことに稀有な才能です。
それくらい――
自分自身の生々しい気持ちを華麗に突き放してみせる“お芝居”が、政治家には必要である、と――
僕は思っています。