マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

八千年のひと春を悠久と感じていたならば

「髪を切ったのか?」
 と、先週の金曜の夜に会った人に――
 きょう、訊かれ――

「切ったけれど、2~3週間前のことだ」
 と答えたあと――

 すぐに――
 先週の土曜の朝に床屋へ行っていたことを――
 思い出しました。

 ……

 ……

 先週の土曜日以降に――
 公私にわたって実に様々なことがあったものですから――

 この1週間足らずの期間を――
 2~3週間のことのように感じていたようです。

 時間体験というのは――
 実に主観的なものですね。

     *

 先週の日曜の昼以降――
 なぜか、『道草日記』へのアクセス数が急上昇しました。

 まったく理由がわからなかったのですが――
 一昨日くらいまでに、わかりました。

 2013年9月24日の『道草日記』で、『荘子』のことに触れています。

荘子』は、中国・戦国時代の思想家・荘子が書き遺したとされる書物です。

 なぜ、『荘子』に触れたのか――

 実は――
 僕が15歳の時にみていた歴史物のTVドラマで――
荘子』の一節をモチーフにした一話があります。

 曰く、

 ――上古に大椿なるものあり。以て八千歳を春と為し、八千歳を秋と為す。

 という一節です。
 現代語に訳すと、

 ――大昔、大椿(たいちん)という老木があって、八千年をひと春とし、八千年をひと秋としていた。

 といった感じです。

 伝承の老木・大椿と比べて、人の一生の短さを、『荘子』らしく、淡々と儚んでいる一節と――
 僕は理解しています。

 2013年9月の『道草日記』で、僕が主に述べたのは――
 そのTVドラマのことでした。

 で――
 そのTVドラマが――
 先週の日曜の昼に再放送されたのですね。

 それをご覧になった方々が、

 ――何だ?

 とお思いになって――

 ネットで検索をされた結果――
 2013年9月24日の『道草日記』に辿りつかれたようです。

 ……

 ……

 人の一生は――
 ひと春を八千年としている大椿(たいちん)と比べれば――
 たしかに短いものです。

 が――
 その短さを実際に儚むかどうかは――
 個々の時間体験が根差す主観によります。

 僕ら人間が、三箇月のひと春を一瞬と感じているように――
 大椿も、また、八千年のひと春を一瞬と感じていたかもしれません。

 大椿が、八千年のひと春を悠久と感じていたならば――
 僕ら人間も、また、三箇月のひと春を悠久と感じていたいものです。