マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「春眠、暁を覚えず」の深読み(7)

 盛唐の詩人・孟浩然は――
 時の皇帝・玄宗のことが、どうしても好きになれなかったのではないか――
 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 玄宗は、唐の第9代皇帝で――
 曽祖父は、唐の建国で活躍し、その後は善政を敷いて「中国史上屈指の名君」と称えられる第2代皇帝・太宗です。

 申し分のない血筋ですが――
 玄宗は、太宗からの嫡流を脈々と受け継いで皇帝になったわけではありません。

 もとは、何人もいた若手皇族の一人に過ぎませんでした。

 ただし――
 幼少の頃から、抜きんでた才覚を買われていたようです。

 やがて、時の皇太子の養子となります。
 将来の皇位が約束されたのです。

 ところが――
 養父の皇太子が即位を前に急死します。

 このため、皇位から、いったんは遠ざかるのですね。

 その後――
 時の皇帝らの失政をみ、クーデターを起こして――
 最終的には実力で皇位を勝ちとります。

 実に波乱万丈の即位といえましょう。

 即位のあとも波瀾万丈です。

 玄宗の治世の――
 前半は、曾祖父の太宗と並び称されるほどの名君ぶりでしたが――
 後半は、政治に倦(う)んで女色に耽り、謀叛に遭って国都を追われます。

 ある中国史系ファンタシーの物語の中で――
 仙人と思しき登場人物が、

 ――若いときは良い皇帝であったが、年老いて愚かになった。

 と語っているのを目にしたことがあります。

 作者の意図は、よくわかります。

 ――傾国の美女

 として有名な楊貴妃を溺愛したのは――
 他ならぬ、この玄宗でした。

 ……

 ……

 さて――

 玄宗は、なぜ、

 ――年老いて愚かになった。

 のでしょうか。

 ……

 ……

 僕は、
(愚かになったのではなく、ただ愚かになったようにみえただけではなかったか)
 と考えています。

 ――愚かになったようにみえた。

 とは、どういうことか――

 ……

 ……

(心の病気にかかったのではないか)
 と――
 僕はみています。

 玄宗が政治に倦み始めたのは40代です。

 この年代に多い心の病気は、

 ――うつ

 などの感情の病気です。

 感情の病気のせいで――
 実際には知能に異常がないにもかかわらず――
 あたかも異常をきたしたかのようにみえることがあるのですね。

 他にも――
 若年性の認知症が考えられますが――

 玄宗が70代まで生きながらえた史実をみれば――
 その可能性は低いでしょう。

 いったん認知症になってしまうと――
 脳の機能が全般的に低下し、生命維持が困難となります。

 当時の医療技術では――
 認知症の発病後に30年も生きながらえることは不可能でした。
 
 ……

 ……

 そんな玄宗の人となりを――
 孟浩然は、どのようにみていたでしょうか。

 実は――
 玄宗の治世の後半部分を――
 孟浩然は知りません。

 玄宗が政治に倦み始める頃に他界したからです。
 孟浩然の没年は、玄宗楊貴妃を娶った年でした。

 よって――
 孟浩然は、玄宗の若いときだけをみて――つまり、良い皇帝であったときだけをみて――玄宗の人となりを判断していたはずです。

 とはいえ――
 判断の材料には事欠かなかったでしょう。

 孟浩然自身は、科挙に落第したため、宮廷に簡単には出入りできませんでしたが――
 孟浩然の文才を認めていた詩人たちは、国権の高官として、宮廷に出入りしていました。

 そんな彼らから、玄宗の人となりを――
 生々しく耳にしていた可能性があります。

 懇意にしていた高官たちの耳目を通して――
 孟浩然は、玄宗のことを、
(気に入らん)
 と思っていたのではないでしょうか。

 なぜか――

 ……

 ……

 僕は、
(孟浩然にも、同じうつの病気があったのではないか)
 と考えています。

 若き日に、政治を志して科挙を受験しておきながら、落第し――
 その後は、その卓越した詩作の才能から国権の中枢に知己を得て――
 自身が望めば、宮廷に仕えることもできたはずなのに――
 なぜか、自分から背を向けてしまった――

 それは――
 孟浩然自身が、ある時を境に、政治に携わることを拒むようになったからです。

 なぜ拒むようになったのか――

(うつの病気にかかってしまったから――)
 と――
 僕は考えています。

 もちろん――
 孟浩然自身は、「うつの病気にかかってしまった」とは認識していなかったでしょう。

 ――なぜか、自分の気質が変わってしまった。

 くらいに思っていたはずです。
 そして、

 ――この気質では、もはや政治に携わるべきではない。

 とも思っていた――

 ……

 ……

 そして――

 その自身に起きた気質の変化を――
 時の皇帝・玄宗の気質の中にも感じとっていた――

 ……

 ……

 ――陛下、あなたも、もはや政治に携わるべきではないのです。

 そんな思いが――
 玄宗への厳しい負の情念となって具体化したのではないか――

 そのように――
 僕には思えてならないのです。