盛唐の詩人・孟浩然は――
時の皇帝・玄宗のことが、どうしても好きになれなかったのではないか――
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
……
……
玄宗は、唐の第9代皇帝で――
曽祖父は、唐の建国で活躍し、その後は善政を敷いて「中国史上屈指の名君」と称えられる第2代皇帝・太宗です。
申し分のない血筋ですが――
もとは、何人もいた若手皇族の一人に過ぎませんでした。
ただし――
幼少の頃から、抜きんでた才覚を買われていたようです。
やがて、時の皇太子の養子となります。
将来の皇位が約束されたのです。
ところが――
養父の皇太子が即位を前に急死します。
このため、皇位から、いったんは遠ざかるのですね。
その後――
時の皇帝らの失政をみ、クーデターを起こして――
最終的には実力で皇位を勝ちとります。
実に波乱万丈の即位といえましょう。
即位のあとも波瀾万丈です。
玄宗の治世の――
前半は、曾祖父の太宗と並び称されるほどの名君ぶりでしたが――
後半は、政治に倦(う)んで女色に耽り、謀叛に遭って国都を追われます。
ある中国史系ファンタシーの物語の中で――
仙人と思しき登場人物が、
――若いときは良い皇帝であったが、年老いて愚かになった。
と語っているのを目にしたことがあります。
作者の意図は、よくわかります。
……
……
さて――
玄宗は、なぜ、
――年老いて愚かになった。
のでしょうか。
……
……
僕は、
(愚かになったのではなく、ただ愚かになったようにみえただけではなかったか)
と考えています。
――愚かになったようにみえた。
とは、どういうことか――
……
……
(心の病気にかかったのではないか)
と――
僕はみています。
玄宗が政治に倦み始めたのは40代です。
この年代に多い心の病気は、
――うつ
などの感情の病気です。
感情の病気のせいで――
実際には知能に異常がないにもかかわらず――
あたかも異常をきたしたかのようにみえることがあるのですね。
他にも――
若年性の認知症が考えられますが――
玄宗が70代まで生きながらえた史実をみれば――
その可能性は低いでしょう。
いったん認知症になってしまうと――
脳の機能が全般的に低下し、生命維持が困難となります。
当時の医療技術では――
認知症の発病後に30年も生きながらえることは不可能でした。
……
……
そんな玄宗の人となりを――
孟浩然は、どのようにみていたでしょうか。
実は――
玄宗の治世の後半部分を――
孟浩然は知りません。
玄宗が政治に倦み始める頃に他界したからです。
よって――
とはいえ――
判断の材料には事欠かなかったでしょう。
孟浩然自身は、科挙に落第したため、宮廷に簡単には出入りできませんでしたが――
孟浩然の文才を認めていた詩人たちは、国権の高官として、宮廷に出入りしていました。
そんな彼らから、玄宗の人となりを――
生々しく耳にしていた可能性があります。
懇意にしていた高官たちの耳目を通して――
孟浩然は、玄宗のことを、
(気に入らん)
と思っていたのではないでしょうか。
なぜか――
……
……
僕は、
(孟浩然にも、同じうつの病気があったのではないか)
と考えています。
若き日に、政治を志して科挙を受験しておきながら、落第し――
その後は、その卓越した詩作の才能から国権の中枢に知己を得て――
自身が望めば、宮廷に仕えることもできたはずなのに――
なぜか、自分から背を向けてしまった――
それは――
孟浩然自身が、ある時を境に、政治に携わることを拒むようになったからです。
なぜ拒むようになったのか――
(うつの病気にかかってしまったから――)
と――
僕は考えています。
もちろん――
孟浩然自身は、「うつの病気にかかってしまった」とは認識していなかったでしょう。
――なぜか、自分の気質が変わってしまった。
くらいに思っていたはずです。
そして、
――この気質では、もはや政治に携わるべきではない。
とも思っていた――
……
……
そして――
その自身に起きた気質の変化を――
時の皇帝・玄宗の気質の中にも感じとっていた――
……
……
――陛下、あなたも、もはや政治に携わるべきではないのです。
そんな思いが――
玄宗への厳しい負の情念となって具体化したのではないか――
そのように――
僕には思えてならないのです。