マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「春眠、暁を覚えず」の深読み(5)

 ――萌え
 
 というのは――
 いわゆる、
 
 ――草木の萌ゆる
 
 の「萌え」ではなくて――
 
 現代日本の対抗文化(counterculture)の文脈で語られる「萌え」のことです。
 
 この「萌え」とは何かが――
 ひと頃――
 対抗文化の文脈で、さかんに議論されました。
 
 僕は、「萌え」を、
 
 ――虚構の人物に恋愛感情を抱くこと
 
 と定義しています。
 
 恋愛感情は――
 基本的にはヒトの性欲に根ざしているはずですから――
 ひいては――
 ヒトが生物種として生き残るのに必要な精神機能と考えられます。
 
 もちろん――
 現実の世界を生きる者が、虚構の人物に恋愛感情を抱いても――
 ヒトの生物種としての存続には寄与するはずがありません。
 
 よって――
 いわゆる「萌え」は、
 
 ――性倒錯の一種
 
 といってよいでしょう。
 
 ――きわめて現代日本的な性倒錯
 
 といっても、よいと思います。
 
 よって――
 きのうの『道草日記』で述べたように――
 もし、盛唐の詩人・孟浩然の遺した『春暁』が、『花木蘭伝説』によって彩られているのであれば――
 
 その“彩り”は、
 
 ――萌えである。
 
 ということができます――花木蘭は、あくまでも虚構の人物ですので――
 
 ちょっと驚きの結論ですね。
 
 ……
 
 ……
 
 では――
 
 なぜ、盛唐(8世紀前半・中国)の詩人・孟浩然は――
 1300年後の倭国(日本)の対抗文化である「萌え」を――
 先取りしえたのでしょうか。
 
 ……
 
 ……
 
 答えは2つあります。
 
 1つは、
 
 (A) 現代日本の「萌え」は、地域性や時代性を越えた普遍性を含む概念であるから――
 
 というもの――
 
 もう1つは、
 
 (B) 孟浩然の『春暁』を深読みしたのが現代日本の「萌え」に親しんだ男であるから――
 
 というもの――
 
 ……
 
 ……
 
 もちろん――
 
 より常識的で、より不自然でない答えは、(B)ですが――
 
 ……
 
 ……
 
 ひょっとして、ひょっとして――
 
 ひょっとするかもしれませんよ(笑
 
 ……
 
 ……
 
 とはいいながら――
 
 ……
 
 ……
 
 この「萌え」を念頭に置きながら――
 あらためて、
 
 ――春眠、暁を覚えず
 
 の句を吟じると――
 
 ……
 
 ……
 
 何とも頽廃的な意味合いには、なりますね~(笑