マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「春眠、暁を覚えず」の深読み(8)

 ――科挙

 は――
 昔の中国の高級官吏採用試験です。

 隋から清までの歴代皇朝が実施してきました。

 盛唐の詩人・孟浩然が――
 この試験を受け、及第できずに、宮廷に伺候できなかったことは――
 6月5日の『道草日記』で述べましたね。

 この高級官吏採用試験――

 当初は、試験制度としては、けっこう複雑であったようですが――
 次第に整理されてきて――
 宋の頃には、一応の完成形をみたと考えられているようです。

 が――
 現代日本人の視点でみると――
 どうしてに腑に落ちない特徴があります。

 それは、

 ――概して作詩の技量が大きなウエイトを占めていた。

 というものです。

 科挙の基本思想として、

 ――優れた高級官吏は、優れた詩人でもあるはずだ。

 という前提が垣間みえるのですね。

(そんなことはないだろう)
 と――
 多くの現代日本人は思うでしょう。

 僕も思います。

 が――
 隋代から清代までの中国人は、そうは思わなかったようです――少なくとも、科挙に合格し、国権の中枢に関わることが許された一部の高級官吏たちは――

 ……

 ……

 ときどき――
 彼らの理屈を考えてみることがあります。

 なぜ昔の中国の高級官吏たちは、詩作が執政官として重要な素養であると考えたのか――

 ……

 ……

 僕の答えは――
 こうです。

 すなわち、

 ――詩作でも執政でも、規則を厳密に適用した上で、いかに人の心を動かすかが、ことの本質であるから――

 ……

 ……

 再び――
 盛唐の詩人・孟浩然の『春暁』に立ち返りましょう。

 あの作品は――
 「萌え」という日常の些細な色恋沙汰を歌っているようで――
 実は、対外政策の批判という天下国家の大事を評している――
 と解釈できることは、すでに述べた通りですが――

 その主題を構成する以前に――
 作品の中で配置される漢字の一字一字に厳しい規則が適用されているのだそうです。

 主には韻に関わる規則だそうですが――

 そうした規則を厳密に適用した上で――
 詩作では、人の心を動かさなければならない――つまり、感動させなければならない――のですね。

 もし、規則の適用を間違えていたら――
 たとえ、その詩が、いくら人を感動させたとしても――
 それは、詩ではないのです。

 つまり――

 ……

 ……

 法の適用を間違えていたら――
 たとえ、その政治が、いくら人を幸せにしたとしても――
 それは、政治ではない――

 たぶん――
 そういうことなのであろうと思います。

 ……

 ……

 先週から8日にわたって――
 『春暁』の深読みについて述べてきましたが――

 そろそろ――
 お開きとしましょうかね。