桜の季節を別れの季節、出会いの季節――と決めたのは誰なのでしょうか。
詳しくは知りませんが、うまく決めたものです。
おそらく明治政府の当局が決めたに違いありません。
年度の設定の話です。
桜の咲く頃に切り変えるという決め事は良い制度だと、僕は考えています。
日本人の古代からの季節観、人生観を反映したものです。
ところが――
今日、新聞の意見欄に、次のような寄稿をみかけました。
――桜の花の下、4月に入学する文化を守るために厳寒期の入試を続けるのか。緑薫る5、6月に受験し、9月に入学する世界標準の学年歴に移行するか――
主張の根幹は、
――厳寒期の入試には無駄が多い。
ということのようです。
雪による交通の混乱や試験場の暖房経費などが根拠に挙げられています。
また、現行の年度では、他の多くの国と年度(学年歴)がズレているために、帰国子女や留学生が待機を余儀なくされるという現状を問題視してもいるようです。
こうした問題を解決するために、
――日本も7月卒業、9月入学とすべきではないか?
ということらしいのです。
いいたいことはわかるのですが、
(なんか気にくわないなあ)
というのが本音でした。
はっきりいえば、嫌悪感を覚えたのです。
入試を厳寒期から外し、初夏に持っていくのは悪くないかもしれません。
が、年度まで弄る意味がわからない。
桜は日本人の人生観に溶け込んでいます。
今さら桜を無視した制度に変更しても、白けるだけではないでしょうか。
年度を弄らなくても、厳寒期の入試は避けられます。
中3の初夏あるいは高3の初夏に入試を行い、その後の半年間は受験勉強ではない勉強に当てる――例えば、卒業論文ならぬ入学論文を課す、とか――
色々と有意義なアイディアを考えられそうです。
帰国子女や留学生の問題も難しくはないでしょう。
当事者の立場で考えれば、おのずから解決策が浮かびます。
「世界標準」という表現が、
(語るにおちたな)
と感じさせました。
――まず結論ありき。
に思えてならなかったのです。
(工夫の努力を惜しむなよ)
と思います。
(そんなに世界と一緒がいいのかよ)
と――
寄稿者は、単に、桜の季節を特別視する現行の制度に、共感していないだけではないでしょうか。