マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人間、生命、哀感

 文字や絵や映像などに囲まれて暮らしていると――
 自分が何者であるか、ということを――
 つい忘れがちとなる。

 文字というのは――
 新聞であったり、雑誌であったり、書籍であったり――

 絵というのは――
 マンガであったり、絵画であったり――

 映像というのは――
 TVであったり、映画であったり、DVDであったりするわけだが――

 これらは、いずれも人間が作り出した記号の羅列である。

 人間の作り出した記号の羅列が世の中の全てだと錯覚することは――
 とてつもなく危険なことであるばかりか――
 非常に虚しい曲解だ。

 そんな虚無の闇に沈みたくないから――
 僕は時々、文字や絵や映像から努めて距離を置こうとするのだが――

 距離を置いたら置いたで――
 今度は、別の虚無が口を開けて待っているから――
 ますます気鬱になったりもする。

 別の虚無というのは――
 自分は何者であるかという問いへの答えが突き付ける――無慈悲な真実である。

 人間とは、まず第一に、ヒトという生き物だ。

 そういう意味で――
 人間は、草原を逃げるシマウマや、北極で凍えるシロクマや、下草を掻き分ける野ネズミと、何ら変わるところがない。

 文字や絵や映像のお陰で――
 シマウマやシロクマや野ネズミよりも、ずいぶんと賢い、などと思ってしまっているが――

 実際には、そうでもないということに――
 人間は、自分の魂の成長の過程で、静かに気付く。

 あるとき、突然、此の世に放り出され――
 物を食わねば痩せ衰え――
 死期が来れば成す術なく息絶える――

 そんな儚い存在だということに気付き――
 愕然となって、今さらながらに天を仰ぐ――

 人間とは――
 結局のところは――
 暗愚で些細な存在だ、と――

 地球上には、文字や絵や映像がなくても、生を十分に満喫できる種族で、溢れかえっているというのに――

 文字や絵や映像は、人間の精神を、信じられないくらいに豊かにしたが――
 人間の生命を、救いようがないくらいに貧しくしたかもしれない。