マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

理想の大学

 日々、学生さんたちと接し、彼ら、彼女らの悩みを向き合っていると――
 ついつい思わずには、いられない――
 理想の大学とは何か、ということを――である。

 僕が考える理想の大学とは――

 まず、教員と研究員とが、緩やかに分業されている。
 分業は、一般教育課程も専門教育課程も、同様である。

 教員は、週4日程度を教育に割き、週1日程度は研究に割く。
 研究員は、その逆である。

 教員は、講義や実習の完成度および学生の満足度で評価され――
 研究員は、専門の学術誌に掲載される論文の数および質で評価される。

 教員にとっての研究とは、自分の学問的素養を維持しつつ、教育の質を高く保つための手段であり、学生に学問の本質を伝えるための具体的な契機となる。
 また、研究員にとっての教育とは、自分の学術活動を省み、研究の質を向上せしめるための手段であり、学生の中に優れた才知を見出すための絶好の機会となる。

 それら教員や研究員に囲まれて――
 学生は、緩やかな学問の場を享受する――自己と学問との自然な関係を模索し、自分に真に必要な諸分野を見出し、以て生涯学習の礎とする。

 教員は、学生に卒業論文を課す。
 それ以外の課題は一切、与えない――およそ試験というものは存在しない――講義や実習も参加が強制されることはない。

 学生は、卒業論文を何編、書いてもよいし、一編でもよい。

 学生の学業は、卒業論文の数および質、さらに、それら諸論文の体系性や将来性などで評価される。
 卒業に相当しないと判断された学生は、留年か中退かを、容赦なく迫られる。

 卒業論文は、主に教員が指導にあたる。
 が、その評価は、指導にあたらなかった教員があたる。

 学生は、卒業論文の構想や執筆に際し、研究員からの助言を自由に得ることができる。
 優れた論文は、研究員によって厳しく点検された後、その研究員との共著という形で、学界に発表される。

 入学試験では、学問的に有意な内容が課される。
 いずれの学部・学科でも、5教科全てが課されるが、辞書や辞典、教科書、電卓などは、持ち込みが許される。

 大学は、卒業後の就職の斡旋は一切、行わない。
 学生間の大学内での不平等を生じせしめないためである。

 以上のような大学が――
 僕にとっての理想の大学である。

 ――夢想の大学

 といってもよい。