先日、ある機関誌を読んでおりましたら――
――日本は発狂してしまった。
と、不快感を露わにしているエッセイが目にとまりました。
筆者の方は、昭和中期に大学を卒業し、その後、長年にわたって人文学系の研究に携わってこられた男性で――
今も大学で教鞭をとっていらっしゃるようでした。
エッセイの主旨はよくわかり、
(たしかに、そうだ)
と賛同できる部分は多かったのですが――
それとは別に――
ガッカリさせられた部分もありまして――
それは、いわゆる“前振り”でした。
エッセイの冒頭で述べられていたのは――
某女性アイドル・グループが「総選挙」と標榜しているイベントのことです。
(これはスゴい!)
人文学・社会学系の学部の縮小に異を唱えるエッセイとしては――
これ以上ないくらいに秀逸な書き出しと感じました。
(この後、どんな論が展開されていくんだろう?)
と思って楽しみに先を読み進めていくと――
ほどなく――
このイベントの様子を公共の電波で放送した民間テレビ局の姿勢が指摘され、
――日本のテレビは発狂してしまった。
と糾弾されました。
そして――
このことを引き合いに、
――人文学・社会学系の教育を軽視しようとする今の日本の政府は、今の日本のテレビよりも発狂している。
と述べられていたのですね。
さらにいうと――
その女性アイドル・グループのメンバーのことを、文中で、
――小便くさい
と評している箇所があって――
これが、ひときわ目につきました。
どんな理由であれ――
女性アイドルに「小便くさい」は非礼でしょう。
もちろん――
昭和中期に大学を卒業している人が、平成20年代の女性アイドル・グループを支持する人たちと異なる審美基準を持っているのは自然なことであり――
その女性アイドル・グループのことを「小便くさい」と評する自由は保証されて然るべきですが――
そうした評は――
人文学・社会学系の学部の縮小に異を唱える文脈とは別個になされるべきでした。
自分の価値観にそぐわない事物への敬意が足りないという点で――
僕は感じます。