マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

勝負事に偏らない教育

 僕は勝負事が好きではありません。
 根本的には、余計な事だと思っております。

 大切なのは交際事です。
 こちらは、人が他者と交わりながら生きていく上で、根本的に必要です。

 勝負事というのは、相手のミスに付け込んだほうが有利になりますよね。
 逆に、交際事というのは、相手のミスを取り繕ったほうが有利になります。

 勝負事では、自分が有利な状況に持ち込むと――
 相手は不利な状況に陥ります。

 交際事では、自分が有利な状況に持ち込むと――
 相手も有利な状況に導かれます。

 つまり、勝負事というのは、実に攻撃的で防衛的、かつ非社会的で非生産的な営みなのですね。
 交際事は協調的で調和的、かつ社会的で生産的です。

 だから、僕は勝負事が好きではないのです。

(できれば、そんな事はしないで生きていきたい)
 と本気で考えております。

 が――
 勝負事を全面否定するのも難しい――

(勝負事はヒトの本能である)
 と感じます。

 ヒトには勝負事を徹底的に追求する習性があるのです。

 そういう習性があったおかげで――
 ヒトは、この惑星上に、種としての空前の規模の繁栄を繰り広げたといえます。

 だから――
 例えば、中学生や高校生の部活動などで、勝負事を教えるのは重要です。

 必要悪という意味で、大変に重要です。
 子供は、ヒトとしての習性を、きちんと制御しなければ、大人にはなりきれません。

 が――
 部活動の現場では、その「必要悪」の部分が、きちんと強調されているのでしょうか――
 子供の指導にあたる大人たちによって、その「必要悪」の側面は、きちんと認識されているのでしょうか。

 ――何のために部活をやっているの?

 と質され、

 ――試合に勝つために――

 と答える子供は、少なくありません。

 ――だって、他に何があるの?

 といわんばかりなのです。
 そういう子供は、将来、かなりの確率で、

 ――自分さえよければいい。

 と考える大人になるでしょう。
 自分の利益のためなら、法をも無視する大人になるでしょう。

 子供を、そういう大人にしないためには――
 交際事の教育が効果的ではないでしょうか。

 例えば、中学生や高校生に、対話や議論の修練を積ませるのです。
 陸上や水泳の修練を積ませるように――

 今に始まったことではないようですが――
 この国には、対話や議論のできない大人が、ちょっと多すぎます。

 10人に1人はいるような気がする――

 せめて100人に1人でとどめるように――
 教育の在り方を正すべきでしょう。

 勝負事に偏らない教育が、肝要です。