マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

笑いを求められるのは

 笑いを求められるのは、つらいものです。

 笑いは、本来、偶発の産物であり――
 人間の意図を越えたところでおこることです。

 それを敢えて必発の産物ととらえ――
 人間の意図で操っておこそうとすれば、つらくなるのは当たり前です。

 乳児や動物の写真を狙って撮るような難しさがあります。

 にもかかわらず――
 笑いを生業(なりわい)にしている人たちがいます。

 いわゆるお笑い芸人さんたちです。

 本来は偶発の産物である笑いを常に他者から求められる――
 その過酷さは、体験した人でないと実感はできないでしょう。

 が――
 ほとんどの芸人さんたちは、その「過酷さ」について、口を閉ざしておられます。

 そのような「過酷さ」の存在それ自体を、お客さんには、あまり知られたくないからのようです。

 たしかに、お客さんに「過酷さ」を感じさせたら、笑いの妨げになるかもしれません。

 とはいうものの――
 実際には、何となく感じさせてしまうものです――常に笑いを求められることの「過酷さ」を――

 その「過酷さ」を乗り越えて笑う――あるいは、笑わせる――
 そのハードルを、お客さんも芸人さんも、繰り返し跳ぶ――
 そのことで、笑いは洗練されていく――
 そんなふうに感じています。