マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「ノブレス・オブリージュ」再考

 ――ノブレス・オブリージュnoblesse oblige

 という言葉があります。

 フランス語で「高貴には義務を伴う」くらいの意味で――
 もう少し砕けていうと、

 ――社会的地位の高い者は、そのぶん社会奉仕に励む必要がある。

 くらいになるでしょうか。

(まあ、その通りだよな~)
 などと――
 僕は、けっこう素直に受けとってしまうのですが――
 そうはせずに、

 ――何をいっとるか!

 とご立腹になる方々も、この国には、けっこうおられるそうです。

 そうした方々の挙げる根拠として、
(一理あるな)
 と思えるのは、

 ――社会的地位の差を前提にしているのが、けしからん!

 というものです。
 つまり、

 ――中世・近代の貴族社会ならいざしらず、現代社会においては職業に貴賤はない!

 というのが、その骨子ですね。

ノブレス・オブリージュ」が慣用句として用いられ始めたのは、19世紀のフランスだそうですから――
 たしかに、その頃には、まだ貴族社会の雰囲気が色濃く残っていたでしょう。

 そのような時代に生まれた慣用句をいまだに用いようとするセンスは――
 たしかに時代錯誤かもしれませんね。

 とはいえ――
 社会的地位の差や職業の貴賤を前提にすることと――
 社会的に得ている報酬の多少や社会的役割に伴う権限の大小を直視することとは――
 厳に区別されるべきでしょう。

「報酬の多少」や「権限の大小」を「地位の差」や「職業の貴賤」に結びつけるかどうかは、趣味の問題(強いていえば、価値観が偏向していないかどうかの問題)といえますが――
「報酬の多少」や「権限の大小」に目をつぶるかどうかは、誠意の問題(強いていえば、知的に誠実な思考がされているかどうかの問題)でしょう。

 たしかに――
 社会に住まう全ての人たちが、等しく報酬を受けていたり、等しく権限を与えられていたりすれば――
ノブレス・オブリージュ」に特段の意義は認めがたいでしょう。