マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

悪文の経験なんて

 ひとたび文芸に入れ込んでしまったら――
 文章を書くには、エネルギーが必要です。

 どんなに決まりきった公式文書を記すときでさえ――
 充実した気力や体力が必要です。

 なぜ必要なのか――

 おそらくは――
 どんな文章も、

 ――文芸作品である。

 とみてしまうからでしょう。

 いや――「文芸作品」というのとは、ちょっと違います。
 単に「作品」ですね。
 あるいは、

 ――芸の出来

 といったほうが、しっくりときます。

 ひとたび文芸に入れ込んでしまったら――
 どんな文章を書くときでも、自分の「芸」が厳しく問われている――
 と感じてしまうのです。

 が――
 文章が相手だと、そうもいっていられないのですよね。

 いつも気力や体力を充実させて文章を書くわけにはいきません。
 それくらい、日常生活には文章を書く機会が多いのです。

 ときには――というよりも、むしろ、しばしば――
 ぞんざいな文章を敢えて書かなければならない時があります。

 そういう時は――
 心が荒(すさ)みますね。

(ああ~。ホントは、もっと、ちゃんと書きたいんだけどな~)
 と思うのです。

 そういう時は、
(悪文の経験を積んで反面教師とするのだ)
 と自分に言い聞かせています。

 でも――
 ふと思うのです。

(その反面教師は、実は自分自身なんだよな~)
 と――

(悪文の経験なんて、そもそも積む必要があるのか)
 と――

(いっさい積まないに越したことはないんじゃないか)
 と――