マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「1週間まるまる」でないと教えられないことも

 教えるほうは、何でもかんでも一度で並行に教えたがるものですが――
 教わるほうは、一つひとつを着実に教わりたいものだと思うのですね。

 ですから――
 一般的な学校の時間割や大学のカリキュラムというものは――
 教えるほうにとっては意欲をかきたてうるものですが――
 教わるほうにとっては意欲をなえさせるものではないかと思うのです。

 少なくとも僕は、自分が学校に通っている頃に――
 時間割に従って行動をするのが窮屈でした。

 時間割から心理的な圧力を感じていました。

 今でも、時間割に追われる学校生活を悪夢にみることがあります。

 ――あ~、次、数学のあと、体育だ。そのあと古文だし……。

 みたいな……(苦笑

 1週間まるまる数学ではダメなのでしょうかね。

 あるいは、1週間まるまる体育――

 あるいは、1週間まるまる古文――

 そうでないと教われない何かがあるのではないかと思っています。

 そして――
 これが、いちばん大事なことですが――
「1週間まるまる」でないと教えられないことも、けっこうあるのではないか、と――

 つまり――
 今の学校や大学の教育では、そのことが、ごっそり抜け落ちているのではないか、と――

 僕の考えすぎなら、いいのですが……。