マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

憶測は「現実」の“姿”を借りた「虚構」

 憶測でものをいうのは――
 けっこう楽しいのですが――

 どうしても無責任になってしまうので――
 あまり良いことではないと思っています。

 何かいうときは――
 いうことに責任をもたないといけないと思うのです。

 唯一、責任をもたなくていいのは、フィクションですね。

 ――虚構

 と割り切っていうときです。

 ただ――
 その「虚構」も意外に難しくて――

 というのは――
 虚構の中には多少なりとも現実が混じり込むからです。

 その混じり込んだ「現実」が、想定外のメッセージを放ってしまって――
 その結果、何らかの責任を問われるということが、少なからずあります。

 憶測というのは、

 ――「現実」の“姿”を借りた「虚構」

 です。
 あるいは、

 ――現実味を帯びた虚構

 とでもいいましょうか――

 その虚構の外側を包み込んでいる“殻”の現実が――
 想定外のメッセージを放ってしまいがちなのです。