よく嘆かれることとして、
――日本では、「何をいっているか」ではなく、「誰がいっているか」が重視される。
というものがあります。
例えば――
同じ警句であっても――
権威のある年配の人がいえば、皆、耳をかそうとするが――
権威のない若輩の人がいえば、誰も耳をかそうとしない――
というように――
このことを――
否定的にとらえる向きがあるのは、十分に承知の上で――
それでも、僕は、
(それは、そういうものだろう)
と肯定的にとらえています。
同じ警句であっても、それを口にすべき人とすべきでない人とがいる――
その区別は、あえて峻厳につけるほうが、世の中にとって、よいのではないか、と――
たしかに――
同じ警句を、「権威のある年配の人」はいってよく、「権威のない若輩の人」はいってはならない――
といわれれば、
――え? なんで?
と訝られるのが自然です。
実際には、「権威のある年配の人」ではなく、「現状をよく理解していて、社会経験の豊かな人」であり、「権威のない若輩の人」ではなく、「現状をよく理解していなくて、社会経験に乏しい人」なのですね。
もちろん、「現状をよく理解していて、社会経験の豊かな人」であれば、「権威のない若輩の人」であっても、何ら問題はないのです。