マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

曖昧さは曖昧に処理されているのではなくて

 ――曖昧さの重要性
 
 を説く人たちがいます。
 
 例えば――
 国家と国家との外交交渉では、曖昧が大事である、と――
 一切の曖昧さを残さずに、すべての交渉事で白黒をハッキリさせていけば――
 その外交交渉は、いずれは破綻し、国交は断絶され、国家間戦争に発展する、と――
 
 それは、その通りなのですが――
 
 そうした外交交渉での曖昧さは、実は双方から厳密に制御され、評価されている事実を、決して見落としてはいけません。
 
 曖昧さは曖昧に処理されているのではなくて――
 むしろ厳密に処理されているのです。
 
 曖昧さを曖昧さとして残す、ということは――
 どこまでを厳密とし、どこからを曖昧とするかを、厳密に検討し、決定する、ということです。
 
 よって――
 物事を厳密に処理できない人には、物事を曖昧に処理することもできません。
 
 一般に――
 人は、若いうちは曖昧に処理することができず、歳をとるにつれ、曖昧に処理することを覚えていく、といわれています。
 
 が――
 たぶん、実際には、そうではなくて――
 歳をとるにつれ、厳密に処理する経験が豊富になり、厳密に処理することに長けてくるので、曖昧に処理することもできるようになる――
 ということです。