鎌倉期の北条氏は――
日本史ファンのなかで、概して不評であろうと思います。
――源氏の開いた幕府を乗っとった。
という意味での不評です。
たしかに――
鎌倉幕府は北条氏に乗っとられたようなところがあるのですが――
でも――
その北条氏が、源氏に乗っとられていたとしたら――
状況は――
少々、複雑です。
そんなに信憑性の高い説ではないのですが――
3代執権・北条泰時は、
という話があります。
TVドラマで取り入れられたことのある説です。
この説が唱えられる理由は――
主に3つあります。
1つは、源頼朝が女性関係に奔放であったらしいこと――
もう1つは、北条泰時の生母の詳細が伝わっていないこと――
そして、もう1つは――
もちろん――
頼朝が泰時を溺愛したとして――
一見そんなに奇妙ではありません。
政子と義時とは仲の良い姉弟であったと考えられています。
妻と仲の良い義弟の長男ですから――
可愛がったとしても、おかしくはありません。
が――
おとといの『道草日記』でも述べたように――
泰時は義時の跡継ぎではありませんでした。
長男が跡継ぎとは限りません。
生誕の順番だけでなく、生母の出自によっても、後継の正当性が判断されました。
泰時の生母は、出自が伝わっていないことからもわかるように、身分の高い生まれではなかったはずです。
よって――
本来なら、泰時は頼朝の寵愛を受けにくい存在でした。
にもかかわらず――
寵愛された――
なぜか――
……
……
一説によると――
泰時の生母は、頼朝の御所に仕えていた侍女であったそうです。
それならば――
泰時が頼朝の落胤であった可能性は低くありません。
むしろ――
頼朝の御所に仕えていた侍女が――
義弟である義時の妻となる不自然さのほうが際立ちます。
……
……
「――義時」
「は……!」
「この女……、余の子を孕んでおる」
「……」
「よろしく頼む」
「は!」
「くれぐれも政子にだけは内密に……」
「……心得ております」
そんなやりとりが――
頼朝と義時との間にあったかもしれません。
……
……
もし――
泰時以降、北条氏の本家には源氏の血が流れていることになります。
――源氏が開いた鎌倉幕府を乗っとった北条氏は、実は源氏に乗っとられていた。
ということになります。
もし、本当にそうならば――
日本史ファンによる北条氏への風当たりも――
少しは和らぐのではないでしょうか。