マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

北条氏のこと(6)

 鎌倉期の北条氏は――
 日本史ファンのなかで、概して不評であろうと思います。

 ――源氏の開いた幕府を乗っとった。

 という意味での不評です。

 たしかに――
 鎌倉幕府は北条氏に乗っとられたようなところがあるのですが――

 でも――
 その北条氏が、源氏に乗っとられていたとしたら――

 状況は――
 少々、複雑です。

 そんなに信憑性の高い説ではないのですが――

 3代執権・北条泰時は、

 ――ひょっとすると源頼朝落胤かもしれない。

 という話があります。

 TVドラマで取り入れられたことのある説です。

 この説が唱えられる理由は――
 主に3つあります。

 1つは、源頼朝が女性関係に奔放であったらしいこと――

 もう1つは、北条泰時の生母の詳細が伝わっていないこと――

 そして、もう1つは――
 鎌倉幕府の正史とされる書物『吾妻鏡』に、幼少期の北条泰時に対する源頼朝の溺愛ぶりが記載されていることです。

 もちろん――
 頼朝が泰時を溺愛したとして――
 一見そんなに奇妙ではありません。

 頼朝にとって泰時は、妻・北条政子の同母弟・北条義時の長男です。
 政子と義時とは仲の良い姉弟であったと考えられています。

 妻と仲の良い義弟の長男ですから――
 可愛がったとしても、おかしくはありません。

 が――
 おとといの『道草日記』でも述べたように――
 泰時は義時の跡継ぎではありませんでした。

 長男が跡継ぎとは限りません。
 生誕の順番だけでなく、生母の出自によっても、後継の正当性が判断されました。

 泰時の生母は、出自が伝わっていないことからもわかるように、身分の高い生まれではなかったはずです。

 よって――
 本来なら、泰時は頼朝の寵愛を受けにくい存在でした。

 にもかかわらず――
 寵愛された――

 なぜか――

 ……

 ……

 一説によると――
 泰時の生母は、頼朝の御所に仕えていた侍女であったそうです。

 それならば――
 泰時が頼朝の落胤であった可能性は低くありません。

 むしろ――
 頼朝の御所に仕えていた侍女が――
 義弟である義時の妻となる不自然さのほうが際立ちます。

 ……

 ……

 「――義時」

 「は……!」

 「この女……、余の子を孕んでおる」

 「……」

 「よろしく頼む」

 「は!」

 「くれぐれも政子にだけは内密に……」

 「……心得ております」

 そんなやりとりが――
 頼朝と義時との間にあったかもしれません。

 ……

 ……

 もし――
 北条泰時源頼朝落胤であれば――

 泰時以降、北条氏の本家には源氏の血が流れていることになります。

 ――源氏が開いた鎌倉幕府を乗っとった北条氏は、実は源氏に乗っとられていた。

 ということになります。

 もし、本当にそうならば――

 日本史ファンによる北条氏への風当たりも――
 少しは和らぐのではないでしょうか。