マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

優れた評論家の条件

 ――評論家

 というと――
 今日、なぜか、
(もはや悪口の一種ではないか)
 と勘繰られるくらいに負のイメージが強いのですが――

 実際には――
 そんなことはなくて――

 ただ、優れた評論家と、そうでない評論家とがいるだけです。

 もし、今日、「評論家」が悪口の一種になっているのであれば―― 
 それは優れた評論家がいなくなりかけているからに他なりません。

 ……

 ……

 優れた評論家は――
 自分が用いる手法の限界や欠陥をよく把握しているものです。

 そうした限界や欠陥を公然と認めた上で――
 敢えて自身の評論を展開する――

 そうすることで――
 評論の質が高くなるのはもちろん――

 何より――
 その評論が人の知的好奇心を刺激するものになります。

 先日――
 ある外交評論家の講演の内容を文書で読んだのですが――

 これが面白かったのですね。

 本題に入る前に、

 ――外交評論は、なぜ間違えるのか。

 という前座があって――
 そこで――
 例えば、

 ――国際情勢の展開を地政学的な観点だけから予測しようとするから間違える。

 とか、

 ――国家勢力の均衡論に基づき国家勢力の動態を分析しようとするから間違える。

 とか、

 ――中東と極東とは1つの戦域とみられているのに別個の戦域とみるから間違える。

 といった警鐘が鳴らされたのですね。

 当然ながら――
 以後、読むほうは、

 ――地政学的に

 とか、

 ――パワーバランスを考えると

 とか、

 ――中東情勢との関連が

 とかいった語句に敏感になります。

 と同時に――
 こうした言葉を演者がいかに慎重に使っているかにも思いが至るのです。