マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

誠意のない釈明より誠意のある釈明のほうが危うい

 実際には誠意のないことをやっているのに――
 誠意が感じられるような釈明をするくらいだったら――

 誠意のないことをやっていて――
 実際に誠意が感じられないような釈明をするほうが――

(まだマシかな……)
 と思います。

 もちろん――
 誠意のないことをやること自体――
 そもそも、好ましくないのですが――

 誠意のないことをやっておきながら――
 それを巧みに隠し通せてしまうのは――
 もっと、好ましくないことです。

 ……

 ……

 誠意が感じられない釈明を見聞きする度に――
 僕らは、つい真剣に腹を立ててしまいますが――

 それは――
 本当は――
 そんなに好ましくないことではなく――
 かつ――
 そんなに驚くことでも、恐ろしいことでも、ないのかもしれません。

 真に好ましくないことは――
 誠意が感じられる釈明を見聞きするときにこそ――
 起っているのかもしれないです。

 すなわち――
 実際には誠意のないことをやっているのに――
 あたかも誠意があるかのような釈明を見聞きするほうが――

 はるかに驚くべきことであり、また、恐ろしいことでもあります。