マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「ルールがない」の危険

 子供の頃から小説を書いていました。
 遊びのつもりです。趣味というのが適切でしょう。

 が、そのことを僕はずっと隠していました。

 ――趣味は何ですか?

 と、訊かれ、

 ――小説を書くことです。

 とは、どうしても答えられなかった。
 今でも、何となく気恥ずかしいところがあります。

 なぜ、でしょう?

 色々な答え方が可能だとは思いますが――
 一言でいえば、

 ――小説はパーソナルなものだから――

 でしょう。

 人の心がパーソナルであるように、小説はパーソナルです。

 人は、心で何を感じようとも自由ですよね。
 同様に、小説で何を書こうとも自由です。特にルールはありません。

 この「ルールがない」ということが危険なのです。
 生のモノが剥きだしで出てくるということです。

 これは恐い。
 無法地帯の恐さです。

 優れた評論や随筆を、たくさん書かれている人で、

 ――小説だけは書けない。

 と断言する人は、決して珍しくはないようです。

 無法地帯の恐さをよく御存じなのでしょうね。

 もちろん、小説書きは、そんなことは、お構いなしです。
 小説書きに生まれついた人は、後先を考えずに書いてしまう。

 少なくとも僕はそうでした。

 が、書いたあとで、

 ――このことは隠しておこう。

 と思う。
 自分の小説を他人にみせようとは思わないのですね。

 おそらく、一種の自己防衛でしょう。
 無意識の自己防衛です。

 これがないと、小説書きは長続きしないように思います。
 心ない人に潰されて終わってしまう。むしろ、小説が嫌いになってしまう。

 だから、

 ――趣味は何ですか?

 と訊かれ、

 ――小説を書くことです。

 とは答えない感覚は、とても大切なことだろうと思います。
 特に、書き始めて間もない小説書きには、そうでしょう。