マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

硬派ファンタシー

 物語には3つの要素があります。

  1)世界 2)人物 3)事象

 の3つです。

 1)は舞台設定のことですね。
 2)はキャラクターです。
 3)は出来事です。あるいは、あらすじといってもいいでしょう。

 このうち、物語を最も制約するものは、世界です。
 私たちは、基本的には、一つの世界しか知らない。人物や事象は多様ですが、世界は一様です。
 つまり、一様な世界が、多様な人物や事象の自由度を下げてしまう。そこに落とし穴があるわけです。

 この問題を解決し得るのが、ファンタシーです。

 ファンタシーは世界を自由に描きます。
 本来、一様であるはずの世界を、敢えて多様とみなすのです。

 したがって、狭義のファンタシーは、世界の描写に力点を置きます。
 世界を描くための人物であり、事象であるのです。

 これに対し――
 私は、広義のファンタシーというものが、あってもいいのではないかと考えています。

 世界は、人物や事象の自由度を下げるといいました。
 それを下げぬよう、世界に必要最小限の多様性がもちこまれた物語――それが広義のファンタシーです。

 僕は、これを「硬派ファンタシー」と呼んでいます。
「硬派」というのは、安易な世界の多様性を戒めるという意味での硬派です。
 いわば、ファンタシーというベッドの上に、世界の多様性という布団を敷きすぎない、という意味での硬派です。

 他方、狭義のファンタシーは「正統ファンタシー」と呼んでいます。
 正統ファンタシーは、ふかふかの布団が幾重にも敷かれています。
 そういう意味では「軟派」です。
 誤解を招くので、この表現は用いませんが……。

 どちらがいいとか、わるいとかいう話ではありません。
 ファンタシーには大きく2種類あるということです。

 ただし――
 私個人は、硬派ファンタシーに、より大きな可能性を、みいだしています。

 私が、これまでに書いてきたファンタシーのほとんどは、硬派ファンタシーです。