マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ミスを認める勇気

 昨日の朝日新聞(仙台版)のスポーツ欄をみていたら――
 プロ・サッカー審判員・吉田寿光さんの述懐が掲載されていました。

 去年の9月3日、ワールドカップ・アジア・プレーオフ第1戦(ウズベキスタンバーレーン)で主審を務めた方です。
 吉田さんは、重大な誤審を下します。
 当該チームから抗議を受け、試合自体がやり直しとなりました。

 ウズベキスタンのペナルティ・キック(PK)に違反がありました。
 本来はPKのやり直しを命じるべきところです。
 が、吉田さんはバーレーンにPK(間接PK)を与えてしまいました。

 ルールは複雑です。
 PKの違反では、ボールがゴールに入った場合と入らない場合とで、対応が違うようなのです。

 吉田さんはいいます。

 ――ビデオで見ると、私自身はまずやり直しを指示しています。

 これが正しい判断でした。
 が、次の瞬間、バーレーンの選手たちに囲まれ、おかしくなります。
 英語で抗議を受けている間に、ボールがゴールに入ったことを失念――
 ボールがゴールに入っていない場合の対応を命じられたのです。

 ――今思えば、重圧を感じて平常心ではなかった。

 と、吉田さんは省みます。

     *

 人は、ミスをするものです。
 しない人など、あり得ない。

 そこをいかに庇うかが、周囲の人の知恵です。

 周囲の人は3つにわかれます。

 1)ミスを責める人
 2)ミスに触れない人
 3)ミスの再発を防ごうとする人

 1)は論外です。
 非建設的であるばかりか、人々の和を乱します。

 2)は、思いやりのつもりかもしれませんが、実態は責任放棄です。
 当人だけに責任を負わせる姿勢が穏和なだけです。

 3)がベストだろうと思います。
 当人と一緒になって、再発防止に努めるのです。

 3)は、見方によっては、1)や2)の要素も含んでいます。
 洗練された選択肢といえるでしょう。

     *

 あの誤審の後――
 吉田さんによれば、1)はなかったそうです。
 ただし、2)が一部でみられたことに懸念をお持ちです。
 もしかしたら、3)がないことへのお苛立ちかもしれませんね。

 もし、そうなら、心配です。

 それにしても――
 吉田さんは誠実ですね。
 半年もしないうちに、真実を公に語られるとは――

 勇気のある方だと思います。