マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

物語の補完的解釈

 物語を味わう上で欠かせないステップに、補完的解釈があると思っています。

 補完的解釈とは――
 例えば、主要登場人物とみていた人物が唐突に死んでしまったときに、

 ――なんで簡単に殺すかなぁ。もっと引っ張ればいいのに!

 などと思ったりせず、

 ――なんで、この人物は死に急いでしまったのだろう? 死に急ぐ理由は、なんだったのだろう?

 と考える――そういうことです。

 もちろん、作者が手練なら、そのような唐突な死は描かれない――
 しかし、作者は皆が皆、手練というわけではありません。

 これから手練になっていくかもしれない人で、まだまだ未熟な人はいる――
 才能はあるのに、結果が伴っていない人もいる。

 そういう人たちの紡ぐ物語を正当に評価するためには、補完的解釈の技量が備わっていなければならないと思うのです。
 物語の粗探しは何も生み出しはしないのですね。

     *

 絵本を読んでいました。
 猫の親子の物語です。

 子猫は母猫と喧嘩をし、家を飛び出します。
 しばらく家に帰ろうとしないのですが、色々と良いことが重なって機嫌がよくなり、あるとき、お土産をもって母猫の下に帰ろうとする――その途中、母猫の亡骸に出会うのです。

 母猫が死んだ理由は、ほとんど描かれていません。

 ――子猫の行方を探しているうちに悪者に襲われた。

 といった程度の描写しかないのです。
 いかにも唐突な死です。

 こうした場面に遭遇し、

 ――ちゃんと母猫の死を説明しなきゃ!

 といっても、意義は薄いと思うのです。
 母猫が死に急いだ理由を補完的に解釈するほうが、より意義深いと思うのです。