自分より若い人をみかけると、つい助言したくなるのです。
余計なお世話なのは、わかっているのですが――
なぜでしょう。
とにかくスリリングなのですよね。
アドバイスすること自体が――
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若い人に助言したがるのは、僕だけのことではないようです。
例えば、大学の研究室などでは、ベテランの研究者が駆け出しの研究者を捕まえ、ああでもない、こうでもないと教示する光景は、ありふれています。
少なくとも学界では、
――年配者は若者に親切にしたがる。
という傾向があるようです。
なぜでしょうか。
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――若さとは資源である。
という考え方があります。
これによれば、
――若者は、より多くの資源を持っている。
ということになります。
年配者が若者に親切にすることは、例えば、金融業者が資産家に親切にすることに似ているかもしれません。
資産家にとって有益でない金融業者は淘汰されていきます。
それと同じように、若者にとって有益でない年配者も淘汰されていくでしょう。
若者に何を助言するか――
そこに年配者の全ての価値観が凝縮されるのではないでしょうか。
少なくとも金融業者なみのリスクは背負っているはずなのです。
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5年、10年前の自分の過去を振り返るとき――
思い当たることがあります。
当時、僕は専ら助言を受けるほうでした。
思いあたることというのは、全ての価値観を賭(と)して助言していた人と、そうでない人との差です。
実に大きいのですね。
雲泥の差です。
もちろん――
どちらの助言が心に響いたかは、いうまでもありません。
僕が助言するときも、そうでありたいと思っています。
自分の全ての価値観を賭したい、と――
だから、スリリングなのでしょうね。
僕にとって、若い人へのアドバイスにはギャンブルの様相が含まれるのです。