マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

国という機構

 人々が争いを起こすのは、どういうときか?
 争いというのは、大きな騒乱のことです。天地が、ひっくり返るような擾乱のことです。

 歴史は明確に示します。

 1つは腹が減っているとき――
 満足に食事がとれず、空腹に苛まれるとき、人々は争いを起こします。

 もう1つは身の危険を感じているとき――
 満足に睡眠がとれず、不安に苛まれるとき、人々は争いを起こします。

 この2つが相乗効果をもたらすことも珍しくありません。
 腹が減っているから餓死の危険を感じ、身の危険を感じているから満足に食べられない――ということです。

 人々を、このような災厄から遠ざけるのが、国という機構です。
 国がなければ、人々は安心して空腹を満たすことができないでしょう。

 そのような意味で、国という機構は非情に重要です。

 が、国は人々の暮らしのためにあるということを肝に銘じる必要があります。

 さきの太平洋戦争(大東亜戦争)で、当時の指導者たちが非難されるべき最大の汚点は、自国の人々を餓えさせ、危険にさらしたことです。
 国が本来とは逆の働きをしたのですね。

 自国の民さえ守れなかった指導者たちに、他国の民が守れるわけがありません。
 中国や朝鮮の人々の恨みを買ったのは当然のことです。

 結果責任は厳しく問われるべきでしょう。

     *

 日本国憲法の改正が真剣に議論され始めています。
 悪いこととは思いません。画期的なことです。

 が、憲法は、国の最高法規であるがゆえに、国の看板でもあります。

 ――国とは何か?

 本音の議論が必要です。
 憲法論議には欠かせない視点のはずです。