マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

なんとも儚い

 都市部で心臓発作の男性死亡率が上昇しているそうである。
 今日のネットのニュースが伝えている。

 この手のニュースには注意が必要だ。
 一見、わかりやすい内容だけに、その意味を正確に掴むのは難しい。

 おそらく、近年の治療技術の発達に伴って減少していた死亡率が、食の欧米化に伴う罹患率(病気になる割合)の上昇によって、引き上げられたのであろう。
 いくら救命率が上がっても、罹患率が増えれば、死亡率が上昇するのは、当然である。

 正確な解説は専門家に任せよう。

 僕が気になったのは、そのことではない。

 ――人の体は、なんとも儚(はかな)い

 ということである。

     *

 学生時代に医学を専攻したせいで――
 いわゆる病気の知識は、それなりに豊富である。

 人類は、呆れるくらいに多くの病気をみつけている。
 病気のことを記す医学書は、ほんの基本的なものだけで何十冊にも及ぶ。一つひとつ挙げていってはキリがない。

 これだけ膨大な病気に触れていくと、やがて、病気を特別視しなくなる。
(病気も体の変化の一部にすぎない)
 と感じるようになる。

 体の変化のうち、とくに辛辣な影響を及ぼす変化のみを取り上げ、「病気」と呼んでいるにすぎぬ。

「病気」の意味を広くとるならば――
 老いこそが最大の病気だといえよう。
 生まれたときから、万人が罹(かか)っている病気である。

 人の体は、生きていれば、必ず変化していく。
 体だけではない。万物が変化していく。その変化のし方にバリエーションがある。

 可愛らしい娘さんが大人の女性に成熟するのも――
 中年の男が心疾患で命を落とすのも――
 そんなに異質なことではない。

 だからこそ、思うのである。

 ――人の体は、なんとも儚い。

 と――

 いや――
 儚いのは万物か。

 人の体を殊更に取り上げるのは、僕の弱さの裏返しかもしれぬ。