――汎症根治(はんしょうこんち)
は、
――不老不死
と、ほぼ同義である――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
つまり――
おとといの『道草日記』で述べた、
――“全症根治(ぜんしょうこんち)”から“不老不死”への流れ
は、
――“全症根治”から“汎症根治”への流れ
と記すのがよいことになります。
さらにいえば――
その“流れ”の根底にあるのは、
――医学・医療における「全症」から「汎症」への認識の変化
です。
つまり、
――人が病気の苦しみから解放をされるように、あらゆる病気の症状の原因を片っ端から見出そうとしたが、そんなことは不可能とわかった。なぜなら、病気の苦しみは、この世界に個体が誕生をした時点で、既に始まっているからである。
ということです。
それでも、病気の苦しみから解放をされたいと願うのなら、
――有機物である自分たちの個体を無機物に置き換えていくしかない。
となります。
もちろん――
自分たちの体を無機物に置き換えても、おそらく、病気の苦しみから完全に解放をされるわけではありません。
機械は故障をするものです。
無機物の体も、不具合をきたすことがないわけではないでしょう。
が――
体を長く万全の状態に保つには――あるいは、より長く、より万全に近い状態に保つには――有機物より無機物のほうが容易でしょう。
そして――
もし、その無機物の体が、どうしようもなく不具合になったら――
別の体に乗り換えればよいのです。
それゆえに――
……
……
――汎症根治
は、
――不老不死
と、ほぼ同義である――
とみなせるのです。
つまり――
あらゆる、
――症
を根本的に取り除くには――
――病
を取り除くだけでは不十分であり――
結局は、
――老
や、
――死
も取り除くしかない――
そのためには、
――生
の在り方を根本的に見直すしかない――
そういうことです。